私には都立高校3年と私立高校1年の息子が2人おります。
今日は長男についてお話をしたいと思います
長男は、発達性読み書き障害、自閉症スペクトラム、協調性運動障害の診断がついており、特に書字の問題が強い子です。
家族構成は主人と私と子供二人の4人です。4人とも発達に凸凹なところがあります。
長男誕生〜就学まで
名前が書けず「ディスレクシア」と確信した
長男は乳幼児検診で何かを指摘されることはなく成長しましたが、公園の砂場で、ひとりもくもくと遊ぶことが好きな子で朝から真っ暗になるまで公園にいました。こだわりもあり、育てづらさを感じていました。
幼稚園は自由な雰囲気のあるところを選びました。
その頃の長男は、いつもこれはなんで?どうして?と聞いてくる、好奇心旺盛な子でした。
年長さんになるとき、当時小学校の副校長をしていた主人の母に「長男は、息子の小さいときにそっくりだから、早めに文字を教えてほしい。」といわれました。
どうやら、主人が小学校の頃、文字をうまく書くことができず苦労していたことや、文字を書くことが苦手な子を多くみてきたため、早めに対策をした方が良いと思ったようでした。
早速、息子に文字を教え始めましたが、半年経っても下の名前が書けませんでした。
平仮名の「ん」がうまく書けずミミズのようになったり、右払いが左はらいになってしまったり、何度教えても文字をどこから書いたらいいのか分からない状態でした。調べていくうちに「ディスレクシア」についての講演会をきく機会があり、「長男はディスレクシアだ!!」と確信したのでした。
小学1年生
確信はぬぐい切れずクリニックを受診。診断を受ける
早速、保健所に電話して、簡単な発達検査をお願いしましたが、結果は、「こんなに賢くて素直な子なのに、心配しすぎです。」と言われてしまいました。それでも、確信はぬぐい切れずクリニックの予約をしました。
主人からは、「検査を受けてどうするの?君が優しく対応すればいいじゃないの?なぜ型にはめようとするの?」とクリニックにかかることを大反対されました。
「クリニックにかかるなら治るんだよな。結果は君がA41枚にまとめて報告してくれ」とまで言われましたが、検査を受け、小学1年生の10月に発達性読み書き障害と自閉症スペクトラムの特性が分かったのでした。
その頃の長男は夜遅くまでかかっても宿題が終わらず、連絡帳も書けずに、忘れ物も多い状況でした。
そのため、学校と交渉して、宿題の内容を変えてもらい、私はつきっきりでおしえましたが、漢字テストは壊滅で、消しゴムも定規もうまくつかえませんでした。
私は発達性読み書き障害についての文献を読み漁り、勉強会にも参加し、鉛筆と消しゴムを片手に、いかに流れを作って宿題をさせるかで頭がいっぱいでした。
小学2年生
必死になる大人と頑張りすぎた息子
小学2年生の担任はすごく熱心な方でした。九九も漢字もいのこりさせて教えて下さり、縄跳びも特別メニューを組んでくださりました。私もいろんな学習方法を試しました。
例えば、音読は私と長男で一文ごとに交互に読みあったり、しりとりをして語彙を増やそうとしました。
しかし、頑張り過ぎた長男は不安障害を発症してしまいました。
書くことへの不安が強くなり、いろんなことへの過敏さが増していきました。洋服の袖を噛みまくり、よだれだらけでビリビリになる袖、朝筆箱に入れた鉛筆は、学校が終わる頃には全て噛み砕かれていました。
私は噛んでいい鉛筆サックをつけてみたり、噛む専用のタオルをもたせたりして袖噛みをやめさせようとしました。
担任も長男が袖を噛んでいると合図を送ってやめさせようとしました。
しかし、息子は袖を噛むことが止められず、ある日雑巾を噛んでしまったのです。
そしてその頃から、ときどきあったイジメがひどくなっていき、私は益々どうしたら良いか分からなくなってしまいました。
小学3年生
誰もが学びやすい環境づくり、前を向き始めた息子
3年生の担任に初めて会った日、先生は「私にお任せください。お母さんと私が同じ方向をむいていたら大丈夫。私はクラスのリーダーです。私が汚くないと思ったら、子どもたちは汚いとは思わない。」と言い切りました。
担任は息子が袖を噛んでいてもスルーしました。そして、その先生は、ユニバーサルデザインな授業をしてくれました。
音源を聞かせてから授業に入ったり、プリント学習で文字を書く部分を少なくしたり、長男だけを特別扱いせず、誰もが学びやすい授業でした。息子の発言力を大いにほめてくださりました。
そして、自然と息子は鉛筆を噛まなくなりました。
小学校3年の10月より通級にも通い始めました。
また、ディスレクシアを専門に扱う支援施設にも通い、文字を書く練習を始めて、彼なりの漢字の覚え方も見つけました。
それは、漢字を語呂合わせで覚える方法で、長男には合っていたためか、漢字50問テストも合格できるようになりました。
小学4年生
「忘れない安心」をつくったタイピング練習
4年生の2月頃、漢字200問テストで長男が190点目標を宣言し、連日夜中の12時まで親子で漢字の勉強をしていましたが、テストの前日、長男がパニックをおこし
「怖い。せっかく覚えても朝には忘れちゃうから。」と言いました。
皆勤賞を目指していた長男ですが、テストの日は学校を休むことにしました。
そして、私は長男に「漢字を忘れてしまうのなら、タイピングして、選べばいい。あなたなりの学び方がきっとあるからそれを見つけよう」と言いました。
その頃から、長男はパソコンのタイピングの練習を始めました。
小学5〜6年生
通級は母にとっても安心の場所、ICTの代替手段が認められた
5年生になり担任が変わったため、ユニバーサルデザインな授業ではなくなり、ノートは殴り書きになりました。
私が長男に「ノートは一切書かなくていいよ。聞いて発言して覚えてきちゃいなさい。」と言い、長男がそうしたところ、理解力はぐんぐんあがり、成績も良くなりました。
勉強以外では、図工で制作予定が書けず作る時間がなくなることがあったり、給食のお皿を落とすなどのイレギュラーなことが起きたりすると固まっていました。また、並んでいた列から長男が外れるようなことをわざとさせ、先生に怒られるように仕向ける意地悪な子もいましたが、長男はそんな子に対して言葉が出ずにいました。
当時の通級では拠点校での送り迎えがあり、その際に先生に相談をしたり、通級やペアレントトレーニングや親の会のママ友とお話しすることが私の支えとなっていました。
6年生になるとき、校内委員会を開いていただき、長男の支援について話し合いました。
そして、書きの代替手段として、ICTの持ち込みと利用が認められたのです。
中学受験を経て、公立中学へ進学
時間がいくらあっても字は書けない、本当に必要な合理的配慮とは
中学は、本人と話し合い、中学受験をすることにしました。
受験する際、合理的配慮を受けることができ、時間延長1.5倍、書体や行間も大きさも変えて、読み上げもしてもらいました。しかし、長男の欲しい配慮はパソコンでの解答でした。時間をいくらもらっても文字は書けないのです。
結果、受験は不合格となり公立の中学へ進学しました。
中学の通級は、長男が「必要ない」と言ったため利用しませんでした。
中学に入るときも校内委員会を開いていただき、提出物や宿題に関する配慮から始まりました。
少しずつ長男を理解してくれる先生が増え、中学2年生からの定期テストでも別室でパソコンタイピング解答が認められるようになりました。
部活は剣道部に入部しました。
不器用ながらも初段をとるまで頑張ったのですが、練習が忙しくなったことで、宿題やワークが追い付かなくなったため退部しました。また、少ないですが気の合う友達はおりました。
高校進学後
自分を理解し、周りの状況を考え、他者と対話をする力がついてきた
高校進学については、中学1年のときに行った学校説明会で、長男の好きだった分野を学べる専門校の先生に「先輩に合理的配慮を受けている子がいますよ。」と教えていだだことも後押しにはなりましたが、分野の内容にこだわりもあったことから勉強を頑張ることができ、合格することができました。
高校受験での合理的配慮は、選択肢問題になりました。
専門校であったためか、好きなものの共通点が多い子もたくさんいたため、親友と呼べる友達もできました。
長男にとって、合理的配慮を得ることは大変なことではありましたが、
自分の特性を理解して、周りの状況も考えたうえで、高校からは配慮内容を全て長男と学校で決めることができるほど冷静に話せる力が身についたと思います。
小さい頃のこれはなんで?どうして?という疑問は、学校の先生と追及するようになり、自分で調べて知識の掘り下げをすることができるようになりました。
長男はものづくりのスキルを身に着け、人に教えるインストラクターを目指しているそうです。
長男が小学生の頃の私は、みんなと同じように読み書きできるようにしてあげたいとあせるがあまり、型にはめようとしていました。
「学び方がちがうだけ」今はそう思います。
この記事をご寄稿いただいたルピナスさんには、今後も定期的に投稿をしていただけることになりました!
中学入試、高校入試、大学入試とそれぞれの入試での合理的配慮の経験などについても今後ご紹介いただきます。
ルピナスさんの息子さんの「特性とその対応」の記事もぜひご覧ください。
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