高校受験までの長い道のりとその後
高校二年生になった現在の息子さんの様子、そして小学校時代から振り返っての高校受験記事です。

<今ここ‼>(2026年2月)
現在高校2年生の息子。
先日こんなエピソードがありました。
LINEで友達とバスケの練習の日時についてやり取りしていた息子。「オレ明日体育館の練習誘われたし!」って言うことで翌日出かけて行きましたが、直ぐに帰って来ました。練習は翌日だったようです⁇
帰って来るなり「これって、あしたじゃないの?」とLINEを見せてきた息子。見ると「明後日」と書かれていました!「明日」「明後日」…。一緒に出てくると違いに気付いたかもしれませんが、単独で「明後日」と出てくると「あした」って読んでしまいがち。むしろLDっ子なら良く読めたほうです。
日時については私もよく息子にLINEを送りましたが、読めないことを想定し「あした」と平仮名を付け加えたり「1月1日(木)」と、日付を書くようにしていました。今となっては行き過ぎた配慮だったのかもしれないと反省するエピソードでした。これが友達との約束だったから良かったけど社会人になってからでは致命的なミス。今回はとても良い失敗をさせてもらいました。今後同じような場面に立った時、息子は今回のことを思い出し「・明日・明後日」の読みには慎重になるでしょう…と願うばかりです。
社会に出る前にもっともっと沢山の失敗をして、そこから多くのことを学んで欲しいと思います。
春からは高校3年生。いよいよ進路について真剣に考えないといけない時期にきました。
真剣に考えないといけないのは私ではなく息子ですが(笑)。
自分が何になりたいのか?どんな仕事をしたいのか?何が苦手なのか?・どんな仕事ならできるのか?自分でしっかり考えてもらいたいです。

今回の<今ここ‼>は私のことも呟きます。
私は看護師です。小さい頃から決めていました。
というより、「食いっぱぐれない仕事にしよう」と打算的に選んだ結果です(笑)
動機は不純だけど、仕事は好き。
正直、家事や子育てより仕事のほうが好きなくらい。
そんな私でしたが、息子がLDに違いないと思った時、当時勤めていた総合病院を辞め、働き方を変えました。
仕事と家庭だけだった生活に、「支援」という3足目のわらじが増えました。
正直、大人の私だけなら、気合いと体力で何とか履きこなせたと思います。
多少バタバタしても、頑張れば回せたはず。
でも、問題は私じゃなくて息子でした。
毎日慌ただしく動き回る生活の中で、
落ち着いて机に向かう時間を作れるのか。
ゆっくり学習と向き合えるのか。
小学生だった息子には、その生活はあまりにもしんどい気がしました。
「頑張れ」では乗り越えられないだろうな、と。
そう考えた時、優先順位は自然と決まりました。
私は働き方を変えることにしました。
大好きだった病棟を離れて約10年。
診療所勤務を経て、今はまた病棟ナースに戻っています。
ブランクは正直大きい。
不安もあった。
でもやっぱり、病棟は楽しい。
いろんな顔を持つ私だけど、看護師をしている自分がいちばん好きです。
65歳まで働くとして、残りはあと15年。
だからこれからは、少し自分の人生も大事にしたい。
息子には息子の、私には私の人生があるから。
もちろん助けを求められたら全力で応えるけど、
手をかけすぎるのは、もう卒業かなと思っています。
仕事の面だけ見れば、この10年のブランクは大きなダメージでした。
でも同時に、発達障害について学び、コミュニティを作り、多くの人と出会い、講演や執筆にも挑戦できた。
それまで仕事と家庭しか知らなかった私が、まったく別の世界を知ることができた時間でした。
遠回りに見えたけれど、振り返ればこの時間があったから今の私がいる。
そう思える、大事な10年です。
偶然はなく、きっと全部必然。
そう思っています。
<高校受験までの長い道のり>
◎小学校低学年
③学校で受けた支援と配慮
今回は、息子が小学校低学年の時に学校と一緒に積み重ねてきた「支援」と「配慮」についてまとめてみます。
当時の息子は、一見すると「普通の子」でした。
友達関係は良好。会話も問題なし。
でも、勉強になると急にしんどくなる。
一番前の席にしてもらっても集中が続かない。
漢字やカタカナは何度書いても整わない。
説明が長くなると途中で分からなくなる。
集団で同じペースで動くことがとても苦手。
みんなが当たり前にできていることに、ひとりだけ必死でついていく。
「どうしてこの子だけこんなに大変なんだろう」
そんな違和感をずっと抱えていました。
コーディネータのはからいで早々に受けることが出来たWISC-IV(エピソードはパート2で)。
結果は、驚きというより「納得」。
語彙はあるのに推測や概念化が苦手。
ワーキングメモリーが弱く、聞いたことを保持しにくい。
視知覚が弱く、目で順番に追う作業が苦手。
注意集中も移りやすい。
つまり、「やらない」のではなく「できにくい」。
努力不足でも、やる気の問題でもなかった。
わっかってはいたけど、再納得!
この特性をもとに、学校と一緒に環境を整えていきました。
【配慮】としては、
・先生の前の席にする
・指示は明確に
・漢字テストは拡大
・宿題の量や内容の調整
・分かりやすい板書や提示方法
2016年(平成28年)当時は、iPadはあっても学校の学習に使う時代ではなく、ICT支援はほぼゼロ。
すべて手作業での工夫でした。
【支援】としては、
・個別の声かけ
・手順の確認
・放課後の少人数補習
・「あのね日記」は本人の言葉を私が代筆
直接的に助けてもらう関わりもたくさんありました。
面談では、息子の様子について互いに情報共有。いつも先生が細かな様子を教えてくれました。
「一生懸命やっています」
「意欲は落ちていません」
「でも漢字だけは『ぼくできへんねん』って言うんです」
「テストを返すのが心苦しくて…」
できないことではなく、“頑張っている姿”を見てくれている。
その視点が、どれだけ親の支えになったか分かりません。

3学期には
「カタカナはゆっくりだけど板書できています」
「『できへんねん』が減ってきました」
「算数は得意だけど急ぎすぎてミスが多いですね」
と、小さな成長も一緒に喜んでくれました。
音読の方法を変えたり、春休みの課題を一緒に考えたり。
長期休み前には必ず家庭学習の作戦会議。
「今、何が一番必要か」
「どこまでなら無理なくできるか」
学校と家庭で同じ方向を向いて、息子に合ったやり方を探してきました。
振り返ると、特別な支援があったわけではありません。
でも、ひとつだけ確実に言えることがあります。
それは、“連携”があったこと。
家庭だけでも無理だったし、学校だけでも無理だった。
一緒に考えてくれる先生がいたから、ここまで来られました。
先生方はよく、こんなふうに言ってくれていました。
「息子くん、ほんとに頑張ってますよね」
「お母さんもすごく向き合ってますよね」
「見ていると、なんとかしてあげたいって思うんです」
この言葉を、実は何人もの先生からいただきました。
制度や知識ももちろん大事だけれど、
最後に子どもを支えるのは「人の気持ち」なんだと、そのたびに感じました。
何十人もの子どもを見ている先生と、わが子を毎日見ている親。
立場は違っても、目指すところは同じ。
だからこそ、批判するより、チームでいることを選びたい。
困ったら相談して、一緒に悩んで、一緒に考える。
その積み重ねが、息子にとって一番の支援だったのだと思います。
完璧じゃなくていい。
でも、味方がいることは、子どもにとって何よりの力になる。
あの頃の小さな配慮と支援のひとつひとつが、今の息子の土台になっています。
そして私は今も思っています。
子どもを真ん中に、家庭と学校が手をつなげたら、きっと道はひらける。
今回はこの辺でおしまい
次回は…まだ低学年の話がつづくかな…?
By LDっ子ママ