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LDっ子の受験報告#18 みほの家の高校受験①

『LDっ子の受験報告』は、LDのある子ども達の受験体験談をご紹介するコーナーです。合理的配慮のコーナーで載せきれない、さまざまな方の受験までの道のりをご紹介していければと思っています。

高校受験までの長い道のりとその後
LDっ子の受験報告(高校受験)現在の息子さんの様子から、そして小学校時代から振り返っての高校受験記事です。

<今ここ‼>

現在高校2年生の息子

バイトを2つ掛け持ちし、自由に使えるお金を手にした息子は欲しい物が有るとネットで好きな物を注文している。私がそれを知るのは荷物が届いた時(笑)。ある日ゲーム用の大きなモニターが届いてびっくり!ちなみにモニターが届くのは2回目。オンラインゲームやアマプラ等のサブスクも自分の口座引き落としで契約していたり、近くのジムも契約して時々通っている。

先日、「メモ帳ない?バイトに持って行く!」と息子が言い、小さなメモ帳とボールペンを準備していた⁉ バイト先で1人辞める人がいるようで、その分息子の仕事が増えるのだとか。LDっ子の息子が自分からメモ帳⁈ 驚きと共にこれまでの10年近くの記憶がよみがえる。

LDに違いないと確信したのは小1の秋ごろ。あれから約10年。

あの頃は息子がこんなにも逞しく成長するなんて思い描くことが出来なかった。

ただただ不安で分からないことだらけ。

確実に分かっていたことは、「学校の授業は読み書き出来ることが大前提で行われる!」ってことだけ。

当時はまだギガスクールなんて言葉は聞いたことが無くて。デジタル機器を持ち込むなんてそんな発想はなかった時代。それでもLDっ子を取り巻く環境は進化し続けてきた!

今を生きるLDっ子や保護者の皆様には、夢や希望をもって生きて欲しいと大きな声で言いたい。

<高校卒業後の進路について>

高2になると同時に進路活動をスタートしてます。大学受験・専門学校・就職・・・どんな道に進むのか?進みたいのか?まるで他人事のような息子。

そんな息子をよそに私が勝手にイメージしているのは、学力を武器にしなくても戦える専門学校。得意なことはスポーツとゲーム。興味が持てるのも同じ。と言うことでスポーツ系の専門学校を1か所。IT関係の専門学校を2か所見学に行きました。自分の事なのに人任せの息子にイライラしますが、最初の1回は私も同伴で、2回目以降は1人で行かせてます。

ちなみに進路についての私の考えは次の通りです。(あくまでも個人的な考えであり、違う考え方を否定するつもりはありません。)

・頼んでまで進学してもらうつもりはない。頼まれればできる限り学費は用意するし応援する。

・就職と同時に家を出て一人暮らしをさせる。実家で暮らせるのは学生の間だけ。(このルールは娘たちも同じで現在2人とも一人暮らしをしています。)

と言うことなので、息子には進学するか就職するかはっきり分からないのなら卒業後すぐに一人暮らしが出来るように貯金しておくように言ってます。とりあえず100万円。具体的にイメージできるようにカウントダウンして知らせてます。「あと17カ月やで~!100万円たまったか~?」って感じで(笑)

<高校受験を終えて思うこと>

高校受験は息子の人生の1つの通過点。

でもこの通過点にたどり着くまでの道のりはとてつもなく長かった!

「受験」について語るには、そこだけを切り抜くだけでは不十分。息子を取り巻く環境や親の葛藤、持って生まれた特性や能力、運と配られたカードをどう使うか。

沢山あった選択肢の中から何を選ぶか?そんなことの積み重ねがあって今ここにたどり着いたと思っています。

今回はここで受験報告をさせていただくチャンスをいただきましたので、自分自身の振り返りもかねてまとめてみようと思います。少々長くなりますが我が家の受験報告にお付き合いください。

※詳細はインスタグラム「LDっ子ママ」に投稿しています

<息子を取り巻く家庭環境>

・年の離れた2人の姉がいる

・保育園時代に父が仕事を辞めフリータープータロー状態

・両親はいつも喧嘩ばかりで家庭環境は最悪(マルトリートメント)

・小2の時に両親が離婚

・母親は看護師として働くが経済的には裕福とは言えない環境

・放課後や土曜日は学童保育に預けられ夏休み等の長期休暇もほぼ学童で過ごす

受験報告には関係ないようですが、やはり家庭環境は子どもに大きく影響します。

息子にとってはお世辞でも良い環境とは言えず、特に小学校入学前後の時期が一番荒れた家庭環境でした。毎日のように繰り返される夫婦喧嘩。知らず知らず息子の脳に大きなダメージを与えていた(マルトリートメント)と知ったのはもっと後のことでした。

親子で小学校入学を楽しみにしながら準備する。そんな理想的な環境を作ることが出来ず始まった小学校時代。学習面以外でも多くの課題が課せられた息子でしたがこれまで行き渋りや不登校にならなかったのは、関わってくださった多くの方々のおかげだと思っています。

一見関係ないこんな話を書き留めたのには訳があり、こんなどん底の環境で育ったLDっ子でもそれなりに成長するってことをお伝えしたいと思ったからです。

<高校受験までの長い道のり>

◎小学校低学年

①息子の様子

とにかく学習に関わること全てを面倒くさがる。入学することさえ「(面倒くさいからいや!」と言う息子。この頃は子どもの言動の真意を読み取るなんてことを考えていなかった私です。今ならわかる子どもの「面倒くさい」には色んな意味が含まれているってことを。

語彙力が低い子ども達は大人のように自分の感情や思いを細かく言葉で表現することが出来ない。上の2人の娘たちが家で宿題をする様子を小さい時からずっと見ていた息子。何が書かれているか読めない息子にとって、姉たちが音読をしたり漢字ドリルの書き取りをする姿はどのように見えていたんだろう?「小学校に入学したらこんなことをするのか?」「オレにもできるのかな?」楽しいことが待っているというよりも、不安な気持ちのほうが強かったのかもしれない。

このころ息子は皆は聞いたことを直ぐに覚えられるのに自分だけ覚えが悪いんだ!と思っていたようです。そのことを私が知ったのはもっとずっと後になってからでした。

※このエピソードが分かる過去に作成したスライドがあるので2つ紹介しますね。

音読もひらがなも時間割も学習に関わること全てを面倒くさがる息子でしたが、毎日登校出来ていたのは給食と休み時間のおかげかなぁ。学校で好きな時間は?と聞かれると給食!と答えていた息子です(笑)

休み時間は外でドッチボールをする日々。そして給食じゃんけん命!よく食べてよく遊ぶ息子にとってこの2つの時間は楽しい時間となりました。「休み時間と給だけでいいやん!」と言っていた息子でした。

もう一つ小学校生活で大きな助けとなったのが放課後学童保育。入学式より少し前の4月1日から預かってもらえたので、一足先にそこで先輩やら友達と遊ぶことで学校に対する良いイメージが持てたのかも。この場所は自分にとって楽しい場所!って感じかな。

身体を動かして遊ぶことが好きな息子。得意のドッチボールではヒーロー的存在。ドッチボールのおかげで学校でも学童でも居場所を作ることができたのだと思います。

 で、本題の学習面ですが(笑)

出来なかったですねぇ~。なんせ教科書読めませんから。普通に喋って活動的な息子。どぉ~考えても、さぼってる!ふざけてる!としか思えなかったですよ。

「鉛筆の持ち方がおかしい!」「姿勢が悪い!」「どこをど~見たらそんな字になるねん!」「ふざけてんのか!」「頭わるいんか!」とNGワードを炸裂しどつきまわしてました。

息子の自己肯定感を最初に木っ端みじんに砕いたのは紛れもなく私です。  そんな日々が慌ただしく過ぎ、これはいよいよおかしい!と思ったのは夏休み前。こんなに読めない?

こんなに書けない?何かがおかしい!

担任の先生も「お母さん。平仮名が全く入らないです。」とお手上げ状態。もちろん怒るだけでなく色々やってましたよ。運筆の練習やなぞり書きなど。当時の私が思いつくことを。でも、普通に思いつく支援では上手くいかないんですよ。それに気づくのはも~少し先ですが。

そんなこんなで夏休み。さらなる鬼のしごきで平仮名のモー特訓。この時期は最悪の家庭環境でしたが、そんな中での平仮名の反復練習。息子のメンタルが強くて良かった。今なら自覚できます。あれは虐待だったと。息子のためだったとしても虐待なんだと知ったのはもっと後のことでした。

夏休み明け、学校の先生から「お母さん。平仮名が入ってます!すごいです!有難うございます。」と言われました。「いえいえ、我が子の事なのに先生にお礼を言ってもらえるなんてぇ~。でも良かったです~」。と二人で喜びあったのもつかの間。漢字学習が始まりさらなる試練が待っていました。

 2学期に入り直ぐに面談を申し込み学校へ出向きましたが、担任の先生がコーディネーターの先生にも同席してもらうよう手配して下さってました。若い先生でしたがとても気の利く熱心な担任で大変お世話になりました。

思えばこの面談から学校連携がスタートしたように思います。この時は、10年以上も続くことだとは思ってもいませんでしたが(笑)

続きは次回で・・・。

By LDっ子ママ

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