MENU

構音障害と言われた日からのこと by s

カラフルブログはカラフルバードメンバーや知人によるブログです。
地域に広がったカラフルバードメンバーそれぞれに起こったLDにまつわるあれこれを紹介していきます。
LDの対応は地域ごとに、対応する担当の方次第、というところが多く、カラフルバードの記事がストレートに参考にならないこともあるのも実情です。
そういうこともあり、実際に各地の状況をご紹介できる機会にこのブログシリーズがお役に立てればと思います。

目次

息子は現在16歳。
書字障害のため、タイピングによる定期テストの受験や板書の撮影といった合理的配慮を受けながら、都内で私立高校に通っている。生まれた時に急病でNICUに搬送されたことに始まり、どうにもイレギュラー多めの成長をしてきた。

ここでは、幼児期の言語訓練に始まり、書字障害と判断される小学校低学年までのことを紹介する。

初めての北海道での生活

息子 5歳の時のこと。
そのころ我が家は夫の転勤によって北海道に住んでいた。初めての北海道での生活、自然いっぱい、美味しいものもいっぱい、転居に伴い私はフルタイム仕事を辞めたので時間もいっぱい、息子も転入先の幼稚園を楽しんでいた。

幼稚園のサークルでの情報交換

その幼稚園では発達が心配な親子のためのサークルがあり、月に何回か園長先生を囲んで相談をしたり情報交換をしていた。その前に通っていた東京の幼稚園ですでに「マイペースがすぎる」と言われていた息子も早速そこに入れてもらっていた。

その情報交換の中で、支援員の方が実際に息子と喋ったり遊んだりしながら様子を見て、その結果を元に色々なアドバイスをしてくれるという市の事業のことを聞いたので息子を連れて行った。

市の子育て相談での意外な指摘

当日は、私はマジックミラー越しに息子がプラレールを組んだり絵本を読んだりお話しているのを見ていた。事後のフィードバックでは、集中すると指示が聞こえなくなることや体幹が弱くていつも寝そべってプラレールをしている事をきっと指摘されるんだろうなと思っていたら、支援員さんは意外なことを口にされた。

お母さん、息子くんはカ行の発音ができていませんね。しかもカ行がタ行に置き換わっています。この構音障害を改善するための訓練を早めに始めた方がいいです

カ行の発音!構音障害!いつも息子の行動面の発達ばかり気になっていた私にとってそれは青天の霹靂だった。そもそも構音障害ってなんでしょう。。

息子が「おたーさん、あたとちいろのたみとって~」(お母さん、赤と黄色の紙とって)というふうにしゃべるのはこの年齢ではもう普通じゃないとは。知らなかった。

カ行タ行が多いフルネーム

そのそも息子のフルネームはカ行タ行が多い。自分の名前すら正しく言えないのは良くないだろう、ということで早速市内の発達医療センターの言語訓練に月2回通うことになった。

ST(言語聴覚士)の先生との訓練

担当となったSTの先生は、優しい若い先生で、途中で飽きたりグダグダしたりする息子の興味をうまく引きつけながら辛抱強く訓練を進めてくださった。訓練を始めて割とすぐに、姿勢の保持や体の使い方そのものが未熟だからと作業療法とセンター内の整形外科の診察も手配してくれた。

発達医療センター内の整形外科を受診

そこでさらに協調運動障害や外反扁平足といった診断が増えて行った。息子のできないこと、他の子と比べて苦手なことを、名前をつけられて次々に受け止めないといけない時期ははっきりいってつらかった。

ただ息子にとっては、机に座って口の体操や発音の練習をする言語訓練だけではなくて、ボールプールやマットで遊べる作業療法は大歓迎だったようで、訓練そのものはあまり嫌がらずに続けられた。体幹を鍛える体操やビジョントレーニングなど私も初めて知ったことが色々あった。

とはいえ、カ行が正しく口から出てくることはないまま小学校に入学した。

資料①幼稚園時の訓練プリントの一部

小学校生活をスタート

集団の行動や集中力に関して心配はあったけど、息子はなんとか普通級での小学校生活をスタートさせた。「気になる保護者はいつでも見にきていいですよ」というかなりオープンな学校だったので授業はときどき覗きに行っていた。

学習に向かうようすと親としての心配

息子は自分の興味がある勉強は楽しんでいるけど、興味がないことや好きではないことはあからさまにボーッとしていることがよくわかった。宿題に関しても始めるまでものすごく時間がかかり、さっさとやれば5分で済むことに1時間以上かけて抵抗していた。その頃には書字の問題もはっきりしてきていた。

資料② 小1 6月の連絡帳での相談

この連絡帳、久々に見てみたら、当時の私はとめ、はねを重視していたのが意外だった。文化庁指針(平成28年)より前とはいえ、まだまだ息子が書くことへの期待が高かったんだな、と。今なら「とめはねなんか気にせずに、読むことと考えることに集中させな」と当時の自分に言えるんだけど。

担任の先生のことば

小1、2の担任をしてくださったベテランの女性の先生は素晴らしくて、息子が今も、色々な苦手にも関わらずのほほんとした高校生活を送れるのもおそらくこの時期に「君はいい子だよ。苦手なこともちょっとだけ頑張ってみたらきっと楽しいよ」と言い続けてくれたからだと思う。

ちなみにこの私の連絡帳の悩みに対して先生は「姿勢は大事。まだまだカタカナ、漢字と道は遠く続くので今は励まして褒めていこう」というような返事をくださった。

WISC検査の結果

また同時期に受けたWISC では言語理解ー処理速度が40の差をマークしており書字に関しても「同学年のお子さんほどの量や正確さを求めることは難しい」と診断されていたが、とりあえず、まだなるべくみんなと同じように書いて勉強するということにしていた。

資料③ 小1 10月の漢字テスト。

これで90点。先生は明らかな誤字の6と14以外は一応正解にしてくれた上で書き直しをさせている。

暗唱で大混乱

小2で始まる九九。構音障害かつ音韻意識が未熟な息子はきっと「いんいちがいち、いんにがに‥」の暗唱方式ではきっと苦労するだろうと、早い段階から視覚で覚えることにして表を貼っておいた。

案の定、暗唱は「しちし?ひちし?しし?しちひち?」あたりで大混乱。

家庭での九九のサポート

よくやっていたのが 6×7 など書かれたカードを見せて答えは手元の電卓に入力させること。視覚で全て完結できるし書いたり発語したりしなくていいので落ち着いて取り組めた。

とはいってもやはりなかなか覚えられなかった。

焦るばかりの時に友人が教えてくれた塾

書くことも算数も苦手で学校の勉強にどうしてもうまく取り組めない息子に焦るばかりだった私に、いろんな子のやり方に合わせてくれる塾があるよ、と友人がある塾を教えてくれた。

インクルーシブ教育を学んだ先生と心理士の先生が一緒に経営されていて、しかも小学生は少ないので午後の早めの時間はほぼマンツーマン、さらに学区内なので学校の帰りにそのまま寄ればいいという我が家にとっては願ってもない塾だった。

塾でのようす

先生は息子がやる気になるまで話を聞いてくれたりその日の宿題や学校でやり残したプリントを一緒にやってくださったりした。また先生が作ったパズルやゲームなどの教材も色々試させてくれたり、たまにくる中学生とか高校生とかと一緒の教室で勉強するのも楽しかったようでなんとか勉強嫌いにならないラインでとどまっていた。

4年間にわたる訓練の成果

小3になった息子、4年にわたる訓練の成果がやっと出てきた。「赤い柿」「黄色のコップ」といった言葉が、クリアに発音できるようになった。息子が自分のフルネームをはっきり大きな声で言えるのはやっぱりうれしいことだった。

資料④ 小3時の訓練のプリント。

STの先生が息子の大好きなポケモンネタをたくさん書いてくれてた。宿題のレベルも上がっている。

北海道を離れることに

そして、ちょうど小4から北海道を離れることになったので訓練も卒業した。構音障害は成長とともに自然に改善することもあるらしいけど、我が家は訓練を受けて本当に良かったと思っている。

何かの音が発音ができないなんてそんなことある?って思ってたくらい私自身もわかってなかった障害だけど、息子と一緒に色々と勉強することができた。そして息子も、うまくできないことが多い生活の中で、コツコツ続ければうまくいくこともあるよということがわかるといいなと。

必死で過ごした北海道での日々

もちろんその渦中では、度重なる他の診断にも心が折られていたし、送迎は大変だったし(特に冬の雪道運転)、費用もかかった。子育て全般に関しても、途中から夫が東京に帰任になり私と息子は北海道に残ったので育児ワンオペになったし、学校では友達とのトラブルもちょこちょこあった。なんとか学校嫌い、勉強嫌いにならずに小さい達成感を積み重ねていけるように私も必死でカラ元気に過ごしていた。

未だに息子は勉強好きとは言えないし(ゲームは好き)、コミュニケーションも自律心もまだまだだなあと感じることが多いけど、あの頃からずっと頑張ってはいるんだなと思う。

そして訓練でも学校でも塾でも、息子の個性と向き合っていつも励ましてくれた先生たちに感謝している。(S)

Sさんによる受験報告記事もぜひお読みください。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次