はじめまして。読み書き障害をもつ男児の母です。
自虐をネタとしつつも、元来難しいことを考えるのは苦手で、結構な困難も深く悩まないタイプです。
そう思っていました。
それが小学校に入ってから息子の様子がどうもおかしい。
自分のことなら大抵笑い飛ばせるのに、息子の涙には、おろおろするしかできない。
しかし、可愛い我が子が泣いているのであれば、なんとかせねば。
小1で死にたいって、こんな可愛い子が失われたら、世界の損失。
母ちゃんの踏ん張りどころ。
読み書き障害では?と疑ってから、色々な誤情報や「様子をみましょう」「これくらいの子はいますよ」トラップに右往左往しながらも、先人達の痕跡を辿り、ネットや書籍で、この先を歩む地図らしきものを手に入れ、同じ悩みを持つ仲間を見つけ、禿げそうと思いながらも戦い続け、ようやく一息ついたら、
「もしも、私がママじゃなくて、もっとできる人がママだったら、この子はもっと伸びたんじゃないかな?」
「もっと他にもできることがあったんじゃないかな?」
「〇〇もやってあげられてない。でも、時間足りない、どうすれば」
って、声が聞こえるようになってしまいました。
読み書き障害の情報を集める中で知り合ったお母様方に比べて、私はどうにも知性も行動力も体力も社交性も根気も足りないのです。
夫も含めて、お父様はいったいどこに?とも思うけれども。
そう感じてらっしゃる方も多いんじゃないでしょうか。
でもねえ、どんなに自分がもっと出来る母であったらと思っても、他の人にこのポジション譲れるかといったら、無理なんですよね。
愛しい我が子のことで、こんなに悩めるのは私だけ。
それに、出来ないなりに息子と一緒に頑張ってきたのは私。
ただ、同じように、どんなに我が子の変わりに私が読み書き障害になれればと思っても、小さな小人になって息子のポケットに入って学校に行って、フォローしてあげたいと思っても、それも無理なのです。
いつか私は息子より先に死ぬだろうし、そもそもすでに一緒に歩いているところを友達に見られるのも嫌がるようになってしまいましたし。
読めない書けないことが少数派の世の中で、これからも息子は人より大変なことが多いのでしょう。
定期的に、息子の困難を思うと、怖くて怖くて、変わってあげられないことに、自分の力が足りないことに絶望して泣いてしまうこともあります。
でも、息子の人生は息子のもの。
いつか息子が独り立ちできるように、離れていけるように、それまで精いっぱい悩みながら、少しでも人生の武器を増やしていけるよう手伝いながら、見守っていけたらよいなと思っています。
(そういいつつ、合理的配慮とかまだまだ息子の代行で戦いますけどね)
②へつづく
(TORI)
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