カラフルブログはカラフルバードメンバーや知人によるブログです。
地域に広がったカラフルバードメンバーそれぞれに起こったLDにまつわるあれこれを紹介していきます。
LDの対応は地域ごとに、対応する担当の方次第、というところが多く、カラフルバードの記事がストレートに参考にならないこともあるのも実情です。
そういうこともあり、実際に各地の状況をご紹介できる機会にこのブログシリーズがお役に立てればと思います。
「同じ親から生まれたのに 」
はじめに
こんにちは。ソラです。
前回は、長男ナギに発達凸凹があることが分かった頃のことと、はじめての「おうち療育」について書きました。
第2回は、次男ガクにも発達凸凹があると分かった頃のことを書き綴っていきます。
耳で聞いたことより目で見たことのほうが理解しやすいという発達特性を持つ長男ナギに、視覚的構造化を取り入れたことにより、行動が大きく変わった経験から
「家庭を安全で安心できる居場所にしよう」
と決めたものの、実際の子育ては思っていたよりずっと複雑でした。
なぜなら、同じ親から生まれ、同じ家で育っているはずの兄弟なのに、必要な支援がまったく違っていたからです。
字を書こうとしない?
長男ナギは、こだわりが強く、見通しが立たない状況が苦手でした。 はじめてのことも苦手で、不安が一気に膨らみます。
そんなナギにとって大きな助けになったのが、視覚的な支援でした。
予定を書いておく、することを順番に示す、イラストを用いる・・・ただそれだけのことですが「これから何が起こるのか」「自分は何をすればいいのか」が見えることで、ナギは安心して動けるようになっていきました。
一方で、次男のガクは、動きたい、話したい、今すぐやりたい、頭よりも体が先に動くタイプでした。それと、読み書きが苦手。
ナギとガクは小さい頃、モンテッソーリ教育を取り入れている幼稚園に通っていました。
教具やものづくりが大好きで、黙々と取り組んではたくさんの成果物を持ち帰ってきたナギとは対照的に、ガクは椅子に座って行う作業にはほとんど取り組みませんでした。
その代わり、体を動かすことは大好きでした。
体操教室に通い、幼稚園や公園の遊具でも器用に遊び、動きのある活動では生き生きとした姿を見せていました。
ナギに診断がついた頃、ガクは幼稚園の卒園を控えていました。
幼稚園に診断のことを伝えたとき、先生から「お母さん、ちょっとお伝えしたいことが」と声をかけられました。
「小学校入学に向けて、自分の名前をひらがなで書けるように練習をしているのですが、クラスでガク君だけ、なかなか書けないんです」
見せてもらった練習のプリントには、薄く印刷された文字の上に「ミミズが這ったような線」が重なっていました。 また「字を書こうとしない」という話もありました。
そのとき私は「ああ、ガクにも何かがあるな」と、腹を括ったのを覚えています。
支援を開始
しかし、ナギと同じようにスケジュールを提示しても、ガクはほとんど見ていません。
「同じ方法が通用しない」
それは、私にとって最初の大きな壁でした。
兄弟なんだから同じようにすれば大丈夫・・・そんな思い込みは、ここで何度も裏切られました。 学校との関係も、それぞれ違いました。
ナギは、どちらかというと「理解されにくい困りごと」を抱えていました。
授業中に他ごとをしてしまうことはあっても、授業中の立ち歩きや教室を飛び出すことはありません。 先生の指示や周りで起きていることがわからず「静かに困っている子」でした。
学校にはナギの特性や困りごとを理解してほしいこと、少し気にかけて欲しいこと、個別の声掛けをして欲しいことなどをお願いしていました。
ガクは逆に、行動が目立ちました。
小学校に入学してからは、落ち着きがない、衝動的に発言する、書字や工作が思うようにできないと教室を飛び出す、学校で納得がいかないことがあると荷物をまとめて家に帰ろうとしたこともありました。
特に大変だったのは学習面です。
小さい頃から読書が好きで、学校生活や学業で困った経験がない私には、当時、ガクの「教科書が読めない」「字が書けない」という状況が理解できませんでした。
また、この頃はまだLDに関する情報が今ほどたくさん出回っていませんでした。
人はそれぞれ
同じ親から生まれ、同じ家庭で育ち、同じ学校に通っていても、凸凹の内容や行動はこんなにも違う。
あの頃の私は、2人を育てるために、たくさんの
「調べなければいけないこと」
「学ばなければいけないこと」
「考えなければいけないこと」
に追われる日々でした。
そのうち私は「どうしたら行動が直るのか」ではなく「いったい何がしんどいのか」を考えるようになりました。
そして「それぞれのしんどさを軽減できる工夫」を探し、家を「それぞれの強みを思いっきり活かせる場所」にすることを大切にするようになりました。
学校や外の世界でうまくいかなかった日でも、家に帰ればそのままでいられる、怒られない、比べられない、やり直せる。
学校で苦手なことが控えているのなら、家で一緒に練習すればいい。
常に完璧にはできませんでしたが、それでも「家にいるときくらいは、力を抜いていい」という雰囲気を作ろうと、必死に考えていました。
振り返ってみると、兄弟で支援が違ったこと自体が、あとになって大きな意味を持っていたように思います。
「人はそれぞれ違う」
「同じでなくていい」
その感覚を、生活の中で積み重ねていくことができたからです。
次回は、ガクの登校渋りが始まった頃のこと、仕事を辞める選択をしたこと、そして学校の現実を目の当たりにした経験について書こうと思います。