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特別支援教育士が振り返る、愉快な発達凸凹ライフ  ①

カラフルブログはカラフルバードメンバーや知人によるブログです。
地域に広がったカラフルバードメンバーそれぞれに起こったLDにまつわるあれこれを紹介していきます。
LDの対応は地域ごとに、対応する担当の方次第、というところが多く、カラフルバードの記事がストレートに参考にならないこともあるのも実情です。
そういうこともあり、実際に各地の状況をご紹介できる機会にこのブログシリーズがお役に立てればと思います。



発達凸凹児の子育ては、ある日突然はじまった 」

目次

はじめまして。ソラと申します。 
元教員で、特別支援教育士&デジタルアクセシビリティアドバイザー。 

現在は放課後等デイサービスで児童指導員をしながら、地域で市民活動団体を運営しています。  
性格は理系気質でオタク傾向、球技はからきし苦手です。 
「自分自身もASD気味だな」と大人になってから思っています。 

こんな私には、2人の息子がいます。2人とも知的な遅れはありません。 
長男のナギはASD。幼い頃はミニカーとブロックに夢中で、好きなことに黙々と取り組む子でした。 
中学卒業後は工業高校に進学し、専門学校卒業を経て、現在は自動車業界で働いています。 

次男のガクはADHD+LD。体を動かすことと人の世話が大好きで、気づけば誰かの隣にいる子でした。 
福祉系の専修学校高等課程に進学し、内部進学先で国家資格を取得。現在は医療法人で働いています。 

2人とも小・中学校は通常学級に在籍していました。通級を利用することはありませんでしたが、放課後等デイサービスに通い、小集団での療育や学習支援を受けながら育ちました。 

いわゆる「普通ルート」と呼ばれる道をそのまま進んできたわけではありません。それでも今、それぞれ自分で選んだ道で正社員として働いています。  

――でも、2010年の私は、こんな未来をまったく想像できていませんでした。 

思い返せば、ナギの子育てには、ずっと小さな不安がつきまとっていました。 
ナギは赤ちゃんの頃、とても手のかからない子でした。よく眠り、あまり泣かず「育てやすい子」だと思っていました。 

2歳になり、児童館の親子教室に通い始めた頃のことです。
周りの子どもたちが楽しそうに遊ぶ中で、ナギは集団に混じろうとせず、1人で静かに遊んでいました。先生の指示や活動には関心を示さず、好きなオモチャが置いてある部屋へ何度も何度も脱走していました。 

幼稚園に入っても、周りの子とは何かが違うという不安は消えません。 
こんな様子が気になり、子育て支援機関に相談して面談を受けたこともあります。
でも返ってきたのは、「特に問題はありませんよ」という言葉でした。 

そう言われて安心したはずなのに、どこか胸の奥に引っかかるものが残る子育ては続きました。 

そして2010年、その小さな違和感が、はっきりとした形で現れます。
ナギが小学校中学年になった春、学校から頻繁に電話が掛かってくるようになったのです。 
学校の言い分は「ちっとも言うことを聞かない」「泣けば済むと思っている」といったものでした。 

家でも「登校の準備がスムーズにできない」「学校からの連絡事項を教えてくれない」といったことはありましたが、まさか学校でそんなことになっているとは・・・ 
叱っても、励ましても、諭しても、状況は変わりませんでした。
私は次第に「育て方が悪いのだろうか」と自分を責めるようになっていきました。  

ある日、ナギがぽつりとこう言いました。 
「学校に行きたくない」 

そして、こうも言いました。 
「先生やみんなは、僕のことが嫌いなんだと思う」  

この一言は、今でも胸の奥に重く残っています。 
「これは放っておいちゃいけない」と相談先を探した結果、児童相談センターで発達検査を受けることになりました。 

「発達に凸凹があります」 

そう聞いたとき、頭が真っ白になったことを覚えています。
しかし「このままだと不登校になる可能性があります」「病院で診断をもらって、学校に理解や配慮を求めてみては?」と説明されたことから、すぐに小児科を受診することにしました。 

半年後、発達外来でASDの診断がつきました。必要に応じて投薬治療を受けた時期もあります。 
そこから、医療・教育・福祉といった関係機関を行き来しながら、ナギに合う育て方を探していく日々が始まりました。 

診断名がついた瞬間、正直に言えばショックもありました。でも同時に、どこかでほっとしている自分もいました。「私の勘は間違っていなかったんだ」「しつけや性格の問題ではなかったんだ」と、ようやく思えたからです。 

当時の私は、特別支援教育について学んだ経験はありませんでした。
それでも「半年先の受診まで、じっと待っているなんてできない」と、本やインターネットで発達凸凹について調べ始めます。 

発達検査によると、ナギは「耳で聞いたことを理解して行動する」ことよりも「目で見たことを理解して行動する」ことの方が得意な子でした。
そのため、本のイラストにあった「絵カード」や「スケジュールボード」を見よう見まねで作ってみたんです。 

おすすめの本:

※当時の写真です 


「予定を見える形にする」「やることを整理する」ただそれだけで、ナギの生活は驚くほど落ち着いていきました。 

「環境を変えるだけで、こんなに違うんだ」 
この体験は、私の中で大きな転換点になりました。 

「ナギに合った教え方をすれば、ナギは必ず、色んなことができるようになる」 
そう強く思うようになったのです。 

そしてこの頃、次男のガクにLDの傾向があることが少しずつ見えてきます。
兄弟でも、発達の凸凹はまったく違う――そのことを、これから嫌というほど実感していくことになります。 




振り返れば、2010年の私には、まだまだわからないことだらけでした。不安で、孤独で、「正解」が見えないまま、手探りで進む日々が続いていました。 

それでも今は、思います。 

あの頃の私に、 
「この子たちは、ちゃんと大人になりますよ」 
 と、そっと教えてあげたかった、と。 

この連載では、発達凸凹の息子達と過ごしてきた日々を、母として、また支援者として、振り返っていきます。 

今、社会人となった2人が前向きな生活を過ごせている最大のポイントは「家庭を安全で安心できる居場所にしよう」と試行錯誤を重ねてきたことだったと、私は思っています。 

発達凸凹を知る前は、育児書なんて全く参考にならない、まるで宇宙人を育てるような謎だらけの子育てに、不安や焦りを感じていたんでしょうね。
怒ってばかりの母親でした。ほんと後悔だらけです。
もう一回、育て直しをしたい!と、今でも思っています。 

この頃、私がナギに何度も伝えたことがあります。 
「世の中の全ての人があなたのことを悪く言っても、お母さんは絶対にあなたの味方だからね」 

2010年と違い、今は発達凸凹に関する理解や支援も広がっています。
行政や民間のサポート機関も増えています。
スマホやSNSを使えば、いくらでも情報を見つけられる時代になりました。
これからは、生成AIが子育ての伴走をしてくれる時代なのかもしれません。 

しかし、情報があふれ返り過ぎて、迷うこともあるのではないでしょうか?
生成AIにも、まだまだ危なっかしい部分があります。 

そんな考えもあって、ここで「ひとりの人間として」自分の子育てや学びの過程をまとめてみることにしました。 
誰かのお役に立てたら幸いです。 


次回は、同じ家で生まれ育ちながら、ナギとはまったく違う凸凹をもっていたガクのことを書こうと思います。 

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