『合理的配慮』という言葉は、ここ数年で随分と世間に周知されてきたと感じている。私自身がその言葉を知ったのはいつだったか。長男が小学2年生の2017年7月、千葉リョウコさんの『うちの子は字が書けない』を発売日当日に購入して読んだその日、作中で目にしたのが最初だったかもしれない。
X(旧Twitter)で私(あさこ)のことを知ってくださっている方から見ると、今でこそ、我が家のLD長男はたくさんの合理的配慮を受けて学校生活を送っている印象を持たれることと思う。
でも、長男が小学校に入学した8年前、『学習障害』の存在さえも一部の教員しかまだ知らないフツーの公立小学校の現場には『合理的配慮』などというものは影も形もなく、当然ながら長男にもそんなものは与えられなかった。
遡ること2016年。文字に一切興味がないものの、保育園まではそこそこ賢い穏やかマイペースキャラだった長男との生活は、小学校入学後すぐに一変した。とにかく音読と文字の書き取りの宿題に時間がかかる。私は途方に暮れた。音読は、読み始めたら3分で終わるのに、その前に毎日一時間近く泣く、叫ぶ、暴れる。やっとの思いで書き取りまでたどり着いても、ここからまた泣く、暴れる。さらに週末には日記があったりなんかして。長男は読み書きの苦手に加えてとにかく促音(「っ」)と長音(「―」)が出来なかったので、日記を読んでは指摘して、癇癪を起され応戦して、親子でぐったり。そんな日々が続いた。
小1の担任は、それはドライ&クールな若い女の先生で、長男の学習の遅れに多少気づいて連絡をくれたことはあったが、長男本人に励ましの声をかけてくれるようなタイプではなかった。
むしろ、スパルタに練習量をこなせば良いと思ってそれを実践していたらしい。
宿題と学校でのスパルタに限界寸前の長男、その八つ当たりを受けて崩壊寸前の私。
そんなギリギリの状態で迎えた2学期終わりの個人面談の時、担任から淡々と「あれが出来てない」「これが出来ません」と劣等ぶりを羅列される中で、私は「このままでは家庭が崩壊するので、音読の宿題と、書き取りのマル付けをやめさせてください」と、涙を堪えて声を絞り出し、頭を下げた。
これが、私が「他の子と違うやり方にさせてほしい」と学校へ「お願い」した初めてのことだったと思う。
今思えば音読なんて、勝手にやめていれば良かったのに。さすがに第一子、小1からそれをする度胸は無かったのと、誰かにこの異常な事態を知ってほしかったのもあると思う。担任は私からなにか異様なものを感じたのか、目を見開きながら了承してくれた。さらにこの時、「…うちの子、普通ですか?」と聞いた。「…普通、とは?」と聞き返され、初めて読み書き障害を疑っていることを他人に話した。身内は誰も信じてくれない。でもいつも長男の読み書きを見ている担任なら…と少しだけ期待した。その結果、その時初めて「読み書き障害」の存在を知ったらしい担任は、自分の無知を明かした上でスクールカウンセラーにつないでくれた。しかし、ついでに聞いた通級に関しては「お勉強が出来ない子が行くところじゃありません。あの子たち、人との距離が少し弱いだけで賢いんですよ」とバッサリ…つまり息子は賢くない、と言われて私は落ち込んだ。
その後、私はスクールカウンセラーとの面談は重ねたけれど、何故か担任による長男へのスパルタはさらに強まっていたらしく、こちらが頼んだ宿題の件以外になにか支援をしてくれることは無かったと思う。
そして小2の担任変更。この担任は小2、小3と2年間長男を受け持つことになるのだが、これまた毛の生えた鋼の心臓+共感性が乏しそうな先生だった。
当時、学校は子供に寄り添ってくれるものだとまだ信じていた私。
「年度始めの『児童の取扱の希望』の用紙にも『読み書きが異常に苦手です』と書いたし、小1の担任からも引継ぎがあったはずだからきっと大丈夫」なんて思っていたけれど、対応は明らかに「言われたからやっているだけ」の惰性なもので、そこに担任の意志や気遣い、長男への関心は何もなかった。
あまりにも淡々と去年のそれだけが継続されているので「私が騒ぐから対応しているだけで、先生の中では読み書きに違和感がある生徒ではないですか?」と聞いたことがある。答えは「あぁ。たぶん言われてなくても気になってはいるとは思いますよ」だった。
そしてこの合間、小2の夏にはスクールカウンセラー経由でWISCも受けた。これで何かが変わるかと思いきや、何も変わらなかった。知能が標準だと知った担任から「ほかにもっと出来ない子がいますから」「長男君は学校では大人しく頑張っていますよ」「お母さんが仰るような様子はありません」「様子を見ましょう」とLD常套句のオンパレードを浴びたのみ。それでも読み書き障害を疑う私に対し、しまいには区の心理士から「お母さんは『理想の子供像』をしっかりお持ちの方なんですね」と言われ、あまりの話の通じなさに全身の力が抜けていくようだった。
悔しかった。長男はただのバカで、私はそれが自分の理想と違うから「きっと障害がある」と騒ぐ頭のおかしい親だと思われていた。
そしてこの時やっと思い知った。
学校は、「普通の子」の枠からはみ出た子の面倒を見る気はない。長男はそういう扱いなのだと。
「あの子は、ただのバカじゃ、ありません」と、息と一緒にゆっくり口から吐くので精一杯。もう学校は頼らないと心に決めた。スクールカウンセラーに通うのもやめた。学校との連絡は最小限、学校行事の時以外に関わるのはやめにしよう。
ところが。
この判断が長男をさらに苦しめることになってしまった。私が学校へあまり相談しなくなったことで、元々「言われたからやっていただけ」の担任は、長男への気遣いがさらに惰性になったらしい。少ない機会で私が何かを「お願い」した時にはにこやかに「わかりました」「やってみます」と前向きな返事をくれていた担任。当時のブログを読み返すと私はすっかりその笑顔を信じているのだが、数年後の長男曰く、むしろ宿題の件、文字の件、すべてのチェック基準は標準レベルまで引きあがり、言うまでもなく注意、やり直しも増えたそう。「お願い」しているから大丈夫と思っていたことでさえ注意を受けたこと、周囲と違うノートや文具について放課後に呼び出されて怒られたこともあった、とずいぶん経ってから話してくれた。ついでにクラスメイトからも字が汚いこと、勉強が出来ないことをバカにされるようになっていたらしく、私の知らないところでこんな扱いを受けていた長男は、すっかり人間不信になり当然に荒れた。荒れに荒れた結果、トラブルが続発。後で発覚するADHD由来の衝動性で「カッとなると手が出てしまう」ことも増えた。
すると、学校からは問題行動の連絡が増え、私はその度に学校や相手方にお詫びの連絡をしなければならない。これまで比較的真面目に生きてきたつもりで、長男も一生懸命、大事に育ててきたつもりだったのに「問題児の親」になっていく…。当時は長男が荒れる原因も分からなかったので、私自身もどんどん病んでいった。
すると、学校からは問題行動の連絡が増え、私はその度に学校や相手方にお詫びの連絡をしなければならない。これまで比較的真面目に生きてきたつもりで、長男も一生懸命、大事に育ててきたつもりだったのに「問題児の親」になっていく…。当時は長男が荒れる原因も分からなかったので、私自身もどんどん病んでいった。
ただし、その間も学習の方は、家庭でひたすら色々な勉強法を試していた。冒頭の『うちの子は字が書けない』に出てきた漢字カードを見よう見まねで作ったし、ほかにもいろんなものを自作した。WISC後の面談で学校と連絡を絶った直後からはリ〇リ●にも通った。約一年後、リ〇リ●をやめる頃には、読み書きにも本人の精神状態にも目に見えて効果があり、私も教室の先生たちに支えられてずいぶん元気になっていた。その過程で、長男はやり方を変えれば出来ることも沢山ある、という私自身の手ごたえや、リ〇リ●の先生の見立てからやはり学習障害だろうと確信が深まっていく。
この頃の私は、相変わらず学校と距離をとっていたけれど、『長男はやはり学習障害』と確信めくほど、このまま学校の中での長男が『他害のある問題児で勉強もできないただのバカ』という扱いになってしまうことが親として耐えられないと思うようになった。
小学校に入るまでは、あんなに穏やかで周囲から愛される子だったのに。
「学習障害の診断を取って、長男はただのバカじゃないと学校に知らしめたい。」
それから、リ〇リ●の先生に聞く事例やこれまでの担任の対応を思い返して「診断がない状態で『お願い』に留めるから相手から軽く扱われるのだ」とも思った。
もうすぐ小4。今後、学習がどんどん難しくなることも考えると、長男を守るには、このタイミングで受診して診断をとり、長男への支援の「お願い」は、根拠のある「合理的配慮」として正式に申請し、どこにいて誰が相手でも受けられるようにしなければ…!
ちなみに、私がそれまで学校に何かをお願いするときに「合理的配慮」という言葉を使わなかったのにはちゃんと理由がある。小学校教諭の友人から「合理的配慮、って言われると基本的に断わっちゃダメなんだよね…。あれって公立では若干強制力のある話でさぁ…」とため息交じりに聞いたからだ。そんな重荷になりたくない、と思っていたけれど、そんなこと言っていたら長男が壊れる。ごめんよ、友人。その話、逆手に取らせてもらう。と決意はしたけれど、だがしかし。
その先は皆さまご存じ初診への分厚い壁。実はこれまでにも受診を検討したことはあったが予約時に求められる「紹介状」が手に入らず、どうにもならなかった。元はと言えばWISCを受けたのだって「教育機関からの紹介状でもOK」と書いてある病院があって、WISCを受けて知能に問題が無ければ紹介状を書いてもらえるのでは?という淡い期待があったからだ。でも無理だった。
なので、もちろん今回も紹介状は無い、だからひたすら探すのみ。当時はSNSもしていないので頼りは自分の検索力。
そして小3の冬、ついに私は、紹介状が無くても学習障害の初診を受けられる病院を見つけた。(つづく)
(あさこ)